文化系感想ログ

見聴きしたものの感想、あるいは我が人生に対する感想

(田舎で独身で居続けちゃ)いかんのか?

良縁か悪縁かはいざ知らず、とにかく縁あって、今年の4月から田舎で働き始めた。

筆者は東京の出身で、家族ぐるみでの転居や一人暮らしを経験してはいるものの、これまでの人生すべてを首都圏の中で完結させてきた。田舎で働き始めた経緯については割愛するが、オシャレなライフスタイル情報誌に出てくる「新選な食材を求めて大都市圏から移住した飲食店経営者」や「登山やアウトドアスポーツを楽しみ、大自然の中でのびのび子育てがしたい夫婦」のような殊勝な理由や動機は一切ない。

身近な知り合いに限定しても、全国転勤で各地を飛び回っている人は決して少なくなく、それに昔と違って高速バスやLCCなど、格安での長距離移動手段にもいくつか選択肢があり、なによりインターネットがこれだけ便利な時代である。「だから、東京を離れて田舎(※地元資本の企業)で働くくらい訳無いっしょ」くらいの軽い気持ちでやって来たのであるが、今思えば、まったく甘い心積もりであった。

とはいえ、田舎暮らしそのものは結構楽しい。田舎といえども住んでいるのが市の中心部であるため、都会人がよく想像する「セブンイレブンまで10km」のような限界世界ではなく、大きい道路まで出さえすれば大抵の物は揃う。しかも、ライフスタイル情報誌のオシャレ移住者たちが口々に言うとおり、田舎は「食材の宝庫」であるから、人口規模の割には美味しい飲食店が多い。都会で幅を利かせている食べログやrettyがレビュアーの少なさゆえほとんど機能していないのも、自分の足で歩いてお気に入りを探す面白さがあって悪くない。もちろん食の魅力は外食だけではなく、ご当地スーパーや直売所に行けば安くて質の高い野菜が手に入るため、自炊でもそこそこの充実感が得られる。さらに言えば、都会の人たちが泊りがけで行くような景勝地に気軽に足を運べる優越感も、田舎暮らしの醍醐味である。週末にドライブしているだけでも自然の移ろいがダイレクトに感じられて、同じ景色も毎回新鮮な気持ちで眺めることができる。おまけに入湯料の安い温泉がそこらじゅうにあるため、毎週末が旅行気分である。

 

と、ここまで褒めちぎってはきたものの、本記事の主旨は「(田舎で独身で居続けちゃ)いかんのか?」である。東京出身25歳独身女(しかも山下達郎に似ている)に、田舎は必ずしも親切な表情ばかりを見せてはくれない。 

内外を問わず、田舎を蔑むのにもっともポピュラーな語に「田舎は閉鎖的」がある。もちろん、田舎が閉鎖的であるといわれる所以は様々であろうが、都会から出たことのない人々が想像する閉鎖の原因は、おそらく「不便だから」の一点に集約される。鉄道(電車、ではない)は1時間に1本来れば良い方、衣料品は近場のイオンにしか選択肢がなく、オシャレしたければ県庁所在地やその地方の中心都市まで出るしかない。実際、移住するまで筆者もそのように考えており、就職先を確定させた決め手も、地方にしては交通の便が良いためであった。

ところが、こうした不便さはマイカーによって乗り越えられるため、どうにも動かしがたい「閉鎖」とはいえない。現に、筆者自宅は駐車場代無料、もちろん最寄りのイオンや、ロードサイドのスーパーやファミレスも無料である。東京近郊に比べれば、車を動かすのに必要なコストは格段に低い。ならば、本当の「閉鎖」とはなにか。筆者が初めて「田舎は閉鎖的」であると感じたのは、他部署の上司に挨拶し、次の一言を聞いた瞬間である。

「あら、聞かない名字ね」

筆者の名字は両親の出身県に起源をもつ珍姓であるため、出会い頭に名字についてツッコミを受けたり、字面や音の似た名字と間違えられたりといった反応には慣れているつもりであった。しかし「聞かない名字」と言われるのは初めてで、返答に戸惑うとともに、不快な違和感をおぼえた。働き始めて1ヶ月経ってみると、筆者の職場には鈴木や佐藤といった全国的メジャー級名字よりも、 地域特有の珍姓3~5種類の方が人数が多いということに気付く。筆者からすれば「あら、珍しい名字ですね」である。もしかすると名字ランキングトップ10にも「聞かない名字」があるのかもしれないが、とにかく筆者においては、名字が珍しいことよりもまず「余所者であること」に注目がされたのである。自分の出自について強く意識したのは、25年間の人生のなかでこれが初めてであった。

また、職場の年長者たちは、筆者を田舎へ定着させるため、しばしば「結婚」の話題を振りかざしてくる。直接的に「街コンへ行け」だとか「今度某企業と合コンしない?」だとか言ってくるなら笑って流せるからまだしも、「いざという時助けてくれる人を早めに探したほうかがいい」みたいな婉曲表現を使われると「そんなのなくても生きていけます」と強気に出られないのでタチが悪い。それでも「お金が貯まったらセコム契約しようと思ってますw」くらいボケれば切り抜けられそうではあるが、色んな意味で現実的でない。

筆者は山下達郎に似ているだけでなく、家庭にも若干の問題を抱えているため、幼い頃から結婚をしない人生設計で生きてきた。結婚し、夫や夫の実家との関係を良好に築き、複数人の子どもを健康に育て上げるのはまったく容易なことではないが、容易だと思っている人は案外多い。筆者が結婚において自分および周囲を幸せにするならば、山下達郎似の顔面を気に入った上で、小難しい問題を親族も含めて受け入れてくれる相手と結婚する必要があり、これら2つの条件を同時に満たす人は地球上にほとんど存在しないと考えている。まして、田舎の由緒正しい家柄なら尚更である。

結婚は、筆者の「聞かない名字」を当地仕様に塗り替え、田舎への仲間入りを果たすための唯一のチャンスである。しかしながら、上述の理由によってそれは叶えられそうにない。筆者の職業について「結婚しないと配慮の行き届いた仕事ができない」と言う人もいる。天下のゼクシィが「結婚をしなくても幸せになれるこの時代に」なんて宣伝を打っているが、果たして田舎社会においてもその考え方は通用するのか。

 

(田舎で独身で居続けちゃ)いかんのか? 居続けても良いのなら、美味しいご飯と風土を堪能しつつ、それに飽きるまでは働き続けようと思います。

槇原敬之「不器用な青春時代」

先日実家に帰ったら、ちょうど母が槇原敬之の最新アルバム「Believer」を流しているところだった。

私の母はここ20年来のマッキーファン。私自身も物心ついた頃から聴いているため、一般人の30~50倍くらいは彼の楽曲を知っている。一時期は1stアルバムから最新曲まですべての楽曲をiPodに入れていたこともあったが、いつだったかiTunesのデータが全飛びして以来あまり聴かなくなり、最近は実家を離れたためすっかり疎遠になってしまった。

そんな私の耳を突いたのが、標題の「不器用な青春時代」だった。

「これいいね」と反応すると、母は「BUMP OF CHICKENRADWIMPSのテンポを研究して作ったらしいよ」*1と教えてくれた。なるほど、言われてみればそのように聞こえる。バンプなら「orbital period」以降の壮大な世界観の楽曲、ラッドなら(あまりよく知らないけど)「アルトコロニーの定理」って感じ。アニソン・ボカロ曲のエッセンスを微かに感じたのはそのためか、と膝を打った。

少し前の「ムゲンノカナタヘ」からもアニソンっぽい印象を受けたが、改めて聴き比べてみると「不器用な青春時代」と違っていつものマッキーらしい曲調に聞こえる。その決定的な味付けの差がテンポにあるとは、作曲の出来ない人間にとってはなんとも不思議な話だ。

ところで、あの槇原敬之バンプやラッドを研究して一曲作った、という事実もさることながら、歌詞の方も興味深い。

「不器用な青春時代」に描かれているのは、ミュージシャンを志して、とにかくなんかスゴいのを作ってやるぞ! と意気込んで奔走する少年。かつて同級生たちとグループを作り、坂本龍一のラジオ番組に楽曲を投稿したマッキー自身の青春時代を思わせる。

youtu.be

だが、マッキーがアニヲタだったという話は聞いたことがない。歌詞に出てくる「壁のポスターの二次元の彼女」は、彼自身の経験に基づくものではなさそうだ。

もしかするとバンプやラッドに倣ったという曲調も含め、「宅録少年」だった自身をイマドキ(といっても全盛期は一昔前になるか……)の「ボカロP少年」に擬しているのかもしれない。マッキーが米津玄師やwowokaなどと同世代に生まれていたならば、いったいどんな曲をニコニコ動画に発表していたのだろうか。そんな妄想が捗ってならない。

*1:出典はbayfm冠番組「Who cares?」での発言らしい。

「興味のない人から向けられる好意」への憧憬

横槍メンゴの『クズの本懐』というマンガに、「興味のない人から向けられる好意ほど 気持ちの悪いものってないでしょう?」という有名な一コマがある。

これは男子からモテまくりの美少女主人公(だが本命に振り向かれず、慰みに同じ境遇のイケメンと付き合っている)が、よく知らない男子に告白された際に言い放った台詞である。たかがフィクションの話、と思われるかもしれないが、私はこのシーンを初めて目にしたとき、「これだ!これが諸悪の根源なんだよ!」というリアリティを感じると同時に、長らく蓋をしていた激しい嫉妬の感情を思い起こした。

「興味のない人から向けられる好意」の話をしたがる女性は意外と多い。そして多くの文脈において彼女たちは切に困惑しており、確実な解決策を求めていた。

彼氏がいるのに男友達だと思っていた人に告白された、合コンで連絡先を交換したけれどその気がないのに毎日LINEが来る、といった定番案件もさることながら、筆者は美大の出身であるため、個展やグループ展にやってくる「作品目当てではない追っかけ」の話を頻繁に耳にしていた。

実際「興味のない人」を穏便に遠ざけるのがいかに骨の折れる作業であるかは、街中で宗教勧誘や化粧品の押し売りに遭遇してしまったときのことを振り返れば想像に難くない。特に後者の「作品目当てではない追っかけ」はギャラリーストーカーとも呼ばれ、現代美術界隈では深刻な問題ともなっている。

と、頭では理解していても、心の奥底では常にドロドロとした疑念が波打っていた。

 

「それって全部、容姿が魅力的じゃなきゃありえない話だよね?」と。

 

「生物学上は女」として生きること、早25年余り。幸か不幸か、異性からほとんど女としての扱いを受けない四半世紀を過ごしてきた。

私は所謂「ブス」あるいは「不美人」である。物心ついたときには既に、自分の容姿がいかに恵まれていないかを自覚していた。幼少期の私は父親似の顔立ちで、父親笑福亭鶴瓶にそっくりであった。父方の祖母は私が鶴瓶似であることをいたく喜び、幼いころからイマドキっぽい顔立ちの従姉妹と比較しては「あんたはかわいくないもんねえ~」と、ニコニコしながら祖母なりの大賛辞を浴びせてきたのである。

私は幼心に「これ以上鶴瓶に似るのはまずい」と思い、当時流行していたモーニング娘。ゴマキ浜崎あゆみなどの芸能人に近づくよう、自分なりに顔を動かして精一杯の努力を重ねた。

その結果私はみごと鶴瓶似を脱却したものの、こんどは山下達郎に似てきてしまった。中学に入ると活発でEXILEの好きな女子に「○○さんって山下達郎に似てない?タツロ~w」とからかわれ、ひどく落ち込んだ。落ち込んだ末、私は彼女らの前でRIDE ON TIMEの冒頭を全力で歌い、笑いを取りに行く道を選ぶことにした。

そんな私にもいっちょまえに恋愛願望はあったため、25年間で3回彼氏ができた。しかしながら実に3人中3人が私のことをお笑い枠で採用しており、高校の頃に付き合っていた人(中学の同級生だった)には「何を言われるか分からないから、今の高校の友達には会わせたくない」とはっきり告げられた。ぶっちゃけ誰にも「かわいい」と言われたことがない。

高校卒業後は女性の多いコミュニティに所属する機会が多く、比較的容姿を気にせずに生活できていたのだが、そんな中でバイトしていたハンバーグ屋の店長から「誰かとデートするんだったらシフト削ってもいいよ(=あんたには無理だから週5で入れ)」と喧嘩を売られたのは印象深い。化粧を覚えても相変わらず性欲に訴えかける力の弱いブスなのだな、と改めて自覚した瞬間であった。

と、おおむね上述のような半生であったために、私は「興味のない人から向けられる好意」に心底恐怖できる人たちが羨ましいと思うのである。万が一今後誰かからセクハラじみた発言を受けても「この人は博愛主義者だ。私に配慮して他の女性と同じような扱いをしてくれている」と認識し、感動するに違いない。

だがこの感情はあまりにも反社会的であるため、現実世界で表明するわけにはいかない。インターネットの片隅に書き記し、同じように思う女性が存在することを願うのみである。

 

「ゼーガペインADP」感想

映画「ゼーガペインADP」を観てきた。

本編であるTVアニメ「ゼーガペイン」に関しては、ごく最近までタイトルと「知る人ぞ知る佳作」というような評判しか存じ上げなかった新参者だが、2ヶ月前(2016年8月)になんとなく思い立ってDVDを全巻借りて視聴した。2クール全26話で、一気見するにはそこそこ気合のいる長尺だったにもかかわらず、徐々に明かされていく世界観や魅力的なキャラクターに引き込まれ、気がつけばあっという間に最終話まで完走していた。

まさか今年がアニバーサリーイヤーで新作まで発表されているとはつゆ知らず……ツイッターに往年のファンからの感想が流れてこなかったら、間違いなくスルーしていただろう。

ともかくその程度のにわかファンなので、10年越しの感慨深さなどは当然持ち合わせていなかったわけだが、それでも「ADP」は時間をかけて*1見に行って良かったと思える内容だった。アニメ本編を完走された方は劇場に足を運んで損はないはず。

ネタバレのない範囲で特筆すべき点を挙げるとすれば、今日の3DCG技術で描かれたゼーガのアクションと、声優さんの演技だろうか。

まずは前者。せっかく洗練されたメカデザインなのに動きの少ない戦闘シーンが多いのが惜しいなあと思いながら本編を見ていたので、今回のアップデートには大満足。特にアニメ本編でも見どころのひとつだったゼーガの共闘シーンは圧巻だった。キョウやルーシェンたちのやりとりも含め、これがこの作品の醍醐味であると再確認。

後者に関してはすでに多くの方に言及されていることと思われるが、花澤香菜さん。パンフレットによるとやはり演じるにあたっては相当悩まれたとのこと。だが、まさしくご本人のおっしゃる通り「カミナギ、いた!*2」という感想に尽きる。もちろん他のキャラクターにも本編と変わらず、或いはそれ以上に生き生きとした印象を受けた。

アニメ本編では学校生活やAIとの会話など、オケアノス対ガルズオルムの本筋から外れたエピソードが光っていただけに、駆け足で進んでしまった「ADP」のシナリオには少々物足りない部分もあった。

その辺はいつか「NEXT ENTANGLE」で補完されると信じることとしよう。

 

(以下ネタバレを含む感想)

*1:茨城県南から舞浜まで2時間以上かかりました。意外と広いチバラギ帝国

*2:ゼーガペインADP」パンフレット、11ページ。

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