文化系感想ログ

見聴きしたものの感想、あるいは我が人生に対する感想

国保祥子『働く女子のキャリア格差』

昨年の9月に26歳の誕生日を迎え、いよいよ20代も後半に差し掛かった。

Facebookを覗くと、大学の卒業旅行の写真から更新が途絶えていた同級生たちが「私事で恐縮ですが」の書き出しから次々と結婚報告を投稿している。なかには「これを機に仕事を辞めました」と付け加える人もおり、余計なお世話と分かっていながら「頑張って就活しただろうに、勿体無いなあ」と思う。

結婚してもFacebookで恐縮するつもりは端から無いとはいえ、もしかすると将来、私自身も家族や知人からそう思われてしまうことがあるのかもしれない。

 

そんなことをぼんやり考える中で、さすがの私も「女性のキャリア」に関心をいだき、書店で下記の本を手に取った。

 

働く女子のキャリア格差 (ちくま新書)

働く女子のキャリア格差 (ちくま新書)

 

 標題の「働く女子」とは、結婚・出産を経て正社員として勤務を続け(ようとす)る女性のことを指す。

 

本書は7章から成っており、前半の4章では、結婚・出産を経た女性社員が「やる気がない」と誤解されてしまう事例を統計を交えながら紹介し、そのほとんどが上司とのミスコミュニケーション、すなわち双方の配慮に食い違いが生じていることが原因であると指摘する。

たとえば、育休から復帰したのち、就労意欲の低い状態でなんとなく仕事を続ける所謂「ぶら下がりワーキングマザー」も、実は当初からやる気がなかった訳ではなく、育休からの復帰直後にやむを得ず申請した時短勤務制度の期間中、上司の「配慮」により重要度の低い仕事しか振られなくなり、仕事に対するやりがいを見失ってしまうのだという。

 

ミスコミュニケーションのほかにも細かくいくつかの問題が指摘されているが、一番印象に残ったのは仕事の「無限定性」の話だった。「無限定性」とは、

働く内容、場所、時間については会社の言う通りにすることと引き換えに、企業は比較的高い賃金と長期雇用を保障する正社員という雇用条件を提供します、という企業と労働者の暗黙の契約*1

のこと。

つまり、急な転勤や深夜残業といった「無限定性」を受け入れられる人でないと、現在の日本の多くの企業では出世街道から脱落してしまう。半ば常識のような話だが、これだから夫婦とも正社員でキャリアを積み上げていく共働きは難しいのだな、と再認識した。

 

前半4章が全体として「働く女子」に問題認識を促しているのに対し、後半3章は経営者向けの指針を含む、補足的な内容。しかし、本書のおもしろさは後半に集中しているように思う。

第5章では、産休・育休などの制度を充実させただけでなく、前述の「無限定性」を克服して、子育て中の女性が本当に働きやすい環境を整備した3社の実例を紹介している。第6章では、家事のタスクを細分化するなど、夫との分業の方法。第7章では将来「働く女子」になる若い女性に対する提言がされている。

なかでも家事の「タスク細分化」や、一部分を家電や業者に頼るという方法は、なるほどと思いながら読んだ。確かに、家事を手間暇かけて何もかも自力でやることが正義という価値観は時代遅れかもしれない。過程はどうあれ、みんなが健やかでいられればいいのだ。

 

未婚、かつ田舎の保守的職場の私にはあまり参考にならない内容だったが、権利を主張するよりも経営者目線で無理のない仕事の仕方を見つけていくほうが楽、というのは良い考え方だと思った。

 

結論:私もホワイトな会社に就職すべきだったね!

*1:91ページ。

槇原敬之「不器用な青春時代」

先日実家に帰ったら、ちょうど母が槇原敬之の最新アルバム「Believer」を流しているところだった。

私の母はここ20年来のマッキーファン。私自身も物心ついた頃から聴いているため、一般人の30~50倍くらいは彼の楽曲を知っている。一時期は1stアルバムから最新曲まですべての楽曲をiPodに入れていたこともあったが、いつだったかiTunesのデータが全飛びして以来あまり聴かなくなり、最近は実家を離れたためすっかり疎遠になってしまった。

そんな私の耳を突いたのが、標題の「不器用な青春時代」だった。

「これいいね」と反応すると、母は「BUMP OF CHICKENRADWIMPSのテンポを研究して作ったらしいよ」*1と教えてくれた。なるほど、言われてみればそのように聞こえる。バンプなら「orbital period」以降の壮大な世界観の楽曲、ラッドなら(あまりよく知らないけど)「アルトコロニーの定理」って感じ。アニソン・ボカロ曲のエッセンスを微かに感じたのはそのためか、と膝を打った。

少し前の「ムゲンノカナタヘ」からもアニソンっぽい印象を受けたが、改めて聴き比べてみると「不器用な青春時代」と違っていつものマッキーらしい曲調に聞こえる。その決定的な味付けの差がテンポにあるとは、作曲の出来ない人間にとってはなんとも不思議な話だ。

ところで、あの槇原敬之バンプやラッドを研究して一曲作った、という事実もさることながら、歌詞の方も興味深い。

「不器用な青春時代」に描かれているのは、ミュージシャンを志して、とにかくなんかスゴいのを作ってやるぞ! と意気込んで奔走する少年。かつて同級生たちとグループを作り、坂本龍一のラジオ番組に楽曲を投稿したマッキー自身の青春時代を思わせる。

youtu.be

だが、マッキーがアニヲタだったという話は聞いたことがない。歌詞に出てくる「壁のポスターの二次元の彼女」は、彼自身の経験に基づくものではなさそうだ。

もしかするとバンプやラッドに倣ったという曲調も含め、「宅録少年」だった自身をイマドキ(といっても全盛期は一昔前になるか……)の「ボカロP少年」に擬しているのかもしれない。マッキーが米津玄師やwowokaなどと同世代に生まれていたならば、いったいどんな曲をニコニコ動画に発表していたのだろうか。そんな妄想が捗ってならない。

*1:出典はbayfm冠番組「Who cares?」での発言らしい。

「興味のない人から向けられる好意」への憧憬

横槍メンゴの『クズの本懐』というマンガに、「興味のない人から向けられる好意ほど 気持ちの悪いものってないでしょう?」という有名な一コマがある。

これは男子からモテまくりの美少女主人公(だが本命に振り向かれず、慰みに同じ境遇のイケメンと付き合っている)が、よく知らない男子に告白された際に言い放った台詞である。たかがフィクションの話、と思われるかもしれないが、私はこのシーンを初めて目にしたとき、「これだ!これが諸悪の根源なんだよ!」というリアリティを感じると同時に、長らく蓋をしていた激しい嫉妬の感情を思い起こした。

「興味のない人から向けられる好意」の話をしたがる女性は意外と多い。そして多くの文脈において彼女たちは切に困惑しており、確実な解決策を求めていた。

彼氏がいるのに男友達だと思っていた人に告白された、合コンで連絡先を交換したけれどその気がないのに毎日LINEが来る、といった定番案件もさることながら、筆者は美大の出身であるため、個展やグループ展にやってくる「作品目当てではない追っかけ」の話を頻繁に耳にしていた。

実際「興味のない人」を穏便に遠ざけるのがいかに骨の折れる作業であるかは、街中で宗教勧誘や化粧品の押し売りに遭遇してしまったときのことを振り返れば想像に難くない。特に後者の「作品目当てではない追っかけ」はギャラリーストーカーとも呼ばれ、現代美術界隈では深刻な問題ともなっている。

と、頭では理解していても、心の奥底では常にドロドロとした疑念が波打っていた。

 

「それって全部、容姿が魅力的じゃなきゃありえない話だよね?」と。

 

「生物学上は女」として生きること、早25年余り。幸か不幸か、異性からほとんど女としての扱いを受けない四半世紀を過ごしてきた。

私は所謂「ブス」あるいは「不美人」である。物心ついたときには既に、自分の容姿がいかに恵まれていないかを自覚していた。幼少期の私は父親似の顔立ちで、父親笑福亭鶴瓶にそっくりであった。父方の祖母は私が鶴瓶似であることをいたく喜び、幼いころからイマドキっぽい顔立ちの従姉妹と比較しては「あんたはかわいくないもんねえ~」と、ニコニコしながら祖母なりの大賛辞を浴びせてきたのである。

私は幼心に「これ以上鶴瓶に似るのはまずい」と思い、当時流行していたモーニング娘。ゴマキ浜崎あゆみなどの芸能人に近づくよう、自分なりに顔を動かして精一杯の努力を重ねた。

その結果私はみごと鶴瓶似を脱却したものの、こんどは山下達郎に似てきてしまった。中学に入ると活発でEXILEの好きな女子に「○○さんって山下達郎に似てない?タツロ~w」とからかわれ、ひどく落ち込んだ。落ち込んだ末、私は彼女らの前でRIDE ON TIMEの冒頭を全力で歌い、笑いを取りに行く道を選ぶことにした。

そんな私にもいっちょまえに恋愛願望はあったため、25年間で3回彼氏ができた。しかしながら実に3人中3人が私のことをお笑い枠で採用しており、高校の頃に付き合っていた人(中学の同級生だった)には「何を言われるか分からないから、今の高校の友達には会わせたくない」とはっきり告げられた。ぶっちゃけ誰にも「かわいい」と言われたことがない。

高校卒業後は女性の多いコミュニティに所属する機会が多く、比較的容姿を気にせずに生活できていたのだが、そんな中でバイトしていたハンバーグ屋の店長から「誰かとデートするんだったらシフト削ってもいいよ(=あんたには無理だから週5で入れ)」と喧嘩を売られたのは印象深い。化粧を覚えても相変わらず性欲に訴えかける力の弱いブスなのだな、と改めて自覚した瞬間であった。

と、おおむね上述のような半生であったために、私は「興味のない人から向けられる好意」に心底恐怖できる人たちが羨ましいと思うのである。万が一今後誰かからセクハラじみた発言を受けても「この人は博愛主義者だ。私に配慮して他の女性と同じような扱いをしてくれている」と認識し、感動するに違いない。

だがこの感情はあまりにも反社会的であるため、現実世界で表明するわけにはいかない。インターネットの片隅に書き記し、同じように思う女性が存在することを願うのみである。

 

「ゼーガペインADP」感想

映画「ゼーガペインADP」を観てきた。

本編であるTVアニメ「ゼーガペイン」に関しては、ごく最近までタイトルと「知る人ぞ知る佳作」というような評判しか存じ上げなかった新参者だが、2ヶ月前(2016年8月)になんとなく思い立ってDVDを全巻借りて視聴した。2クール全26話で、一気見するにはそこそこ気合のいる長尺だったにもかかわらず、徐々に明かされていく世界観や魅力的なキャラクターに引き込まれ、気がつけばあっという間に最終話まで完走していた。

まさか今年がアニバーサリーイヤーで新作まで発表されているとはつゆ知らず……ツイッターに往年のファンからの感想が流れてこなかったら、間違いなくスルーしていただろう。

ともかくその程度のにわかファンなので、10年越しの感慨深さなどは当然持ち合わせていなかったわけだが、それでも「ADP」は時間をかけて*1見に行って良かったと思える内容だった。アニメ本編を完走された方は劇場に足を運んで損はないはず。

ネタバレのない範囲で特筆すべき点を挙げるとすれば、今日の3DCG技術で描かれたゼーガのアクションと、声優さんの演技だろうか。

まずは前者。せっかく洗練されたメカデザインなのに動きの少ない戦闘シーンが多いのが惜しいなあと思いながら本編を見ていたので、今回のアップデートには大満足。特にアニメ本編でも見どころのひとつだったゼーガの共闘シーンは圧巻だった。キョウやルーシェンたちのやりとりも含め、これがこの作品の醍醐味であると再確認。

後者に関してはすでに多くの方に言及されていることと思われるが、花澤香菜さん。パンフレットによるとやはり演じるにあたっては相当悩まれたとのこと。だが、まさしくご本人のおっしゃる通り「カミナギ、いた!*2」という感想に尽きる。もちろん他のキャラクターにも本編と変わらず、或いはそれ以上に生き生きとした印象を受けた。

アニメ本編では学校生活やAIとの会話など、オケアノス対ガルズオルムの本筋から外れたエピソードが光っていただけに、駆け足で進んでしまった「ADP」のシナリオには少々物足りない部分もあった。

その辺はいつか「NEXT ENTANGLE」で補完されると信じることとしよう。

 

(以下ネタバレを含む感想)

*1:茨城県南から舞浜まで2時間以上かかりました。意外と広いチバラギ帝国

*2:ゼーガペインADP」パンフレット、11ページ。

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