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文化系感想ログ

見聴きしたものの感想、あるいは我が人生に対する感想

「興味のない人から向けられる好意」への憧憬

横槍メンゴの『クズの本懐』というマンガに、「興味のない人から向けられる好意ほど 気持ちの悪いものってないでしょう?」という有名な一コマがある。

これは男子からモテまくりの美少女主人公(だが本命に振り向かれず、慰みに同じ境遇のイケメンと付き合っている)が、よく知らない男子に告白された際に言い放った台詞である。たかがフィクションの話、と思われるかもしれないが、私はこのシーンを初めて目にしたとき、「これだ!これが諸悪の根源なんだよ!」というリアリティを感じると同時に、長らく蓋をしていた激しい嫉妬の感情を思い起こした。

「興味のない人から向けられる好意」の話をしたがる女性は意外と多い。そして多くの文脈において彼女たちは切に困惑しており、確実な解決策を求めていた。

彼氏がいるのに男友達だと思っていた人に告白された、合コンで連絡先を交換したけれどその気がないのに毎日LINEが来る、といった定番案件もさることながら、筆者は美大の出身であるため、個展やグループ展にやってくる「作品目当てではない追っかけ」の話を頻繁に耳にしていた。

実際「興味のない人」を穏便に遠ざけるのがいかに骨の折れる作業であるかは、街中で宗教勧誘や化粧品の押し売りに遭遇してしまったときのことを振り返れば想像に難くない。特に後者の「作品目当てではない追っかけ」はギャラリーストーカーとも呼ばれ、現代美術界隈では深刻な問題ともなっている。

と、頭では理解していても、心の奥底では常にドロドロとした疑念が波打っていた。

 

「それって全部、容姿が魅力的じゃなきゃありえない話だよね?」と。

 

「生物学上は女」として生きること、早25年余り。幸か不幸か、異性からほとんど女としての扱いを受けない四半世紀を過ごしてきた。

私は所謂「ブス」あるいは「不美人」である。物心ついたときには既に、自分の容姿がいかに恵まれていないかを自覚していた。幼少期の私は父親似の顔立ちで、父親笑福亭鶴瓶にそっくりであった。父方の祖母は私が鶴瓶似であることをいたく喜び、幼いころからイマドキっぽい顔立ちの従姉妹と比較しては「あんたはかわいくないもんねえ~」と、ニコニコしながら祖母なりの大賛辞を浴びせてきたのである。

私は幼心に「これ以上鶴瓶に似るのはまずい」と思い、当時流行していたモーニング娘。ゴマキ浜崎あゆみなどの芸能人に近づくよう、自分なりに顔を動かして精一杯の努力を重ねた。

その結果私はみごと鶴瓶似を脱却したものの、こんどは山下達郎に似てきてしまった。中学に入ると活発でEXILEの好きな女子に「○○さんって山下達郎に似てない?タツロ~w」とからかわれ、ひどく落ち込んだ。落ち込んだ末、私は彼女らの前でRIDE ON TIMEの冒頭を全力で歌い、笑いを取りに行く道を選ぶことにした。

そんな私にもいっちょまえに恋愛願望はあったため、25年間で3回彼氏ができた。しかしながら実に3人中3人が私のことをお笑い枠で採用しており、高校の頃に付き合っていた人(中学の同級生だった)には「何を言われるか分からないから、今の高校の友達には会わせたくない」とはっきり告げられた。ぶっちゃけ誰にも「かわいい」と言われたことがない。

高校卒業後は女性の多いコミュニティに所属する機会が多く、比較的容姿を気にせずに生活できていたのだが、そんな中でバイトしていたハンバーグ屋の店長から「誰かとデートするんだったらシフト削ってもいいよ(=あんたには無理だから週5で入れ)」と喧嘩を売られたのは印象深い。化粧を覚えても相変わらず性欲に訴えかける力の弱いブスなのだな、と改めて自覚した瞬間であった。

と、おおむね上述のような半生であったために、私は「興味のない人から向けられる好意」に心底恐怖できる人たちが羨ましいと思うのである。万が一今後誰かからセクハラじみた発言を受けても「この人は博愛主義者だ。私に配慮して他の女性と同じような扱いをしてくれている」と認識し、感動するに違いない。

だがこの感情はあまりにも反社会的であるため、現実世界で表明するわけにはいかない。インターネットの片隅に書き記し、同じように思う女性が存在することを願うのみである。